成長したい、もっと良くなりたい、もっとできるようになりたい、もっと上へ、もっと強く、もっと・・・こうありたい、こうなりたい、理想の自分へ近づきたい。そうパターンは思う。「私」はそう思わないけれど。
巷で言えば、もっとかわいくなりたい、もっと美しくなりたい、もっと若くなりたい、もっと白くなりたい、もっと細くなりたい、もっとお金持ちになりたい、もっと、もっと、、、そうパターンは思う。「私」はそう思わないけれど。
この、「私」はそう思わないけれど。・・・インパクトがあります。
え?そーーーなんだ、みたいな。ちょっとしたショックです。だって、成長ですよ?よくなるんですよ?できるようになるんですよ?きれいに美しくなるんですよ? でも、「私」はそう思わないけれど。 は?!思わないんですか? です。
ここで2つの広がりを心に感じます。
1つは、「私」はそう思わないけれど。の広がり。もう1つは、対処ではないところの広がりです。
成長したい、もっと良くなりたい、もっとできるようになりたい、と常に「対処」してきた自分。その「対処」から感じるのは焦りや狭さ、限定的な向上心です。私はあらゆることに「対処的」にやってきていたなぁ、と今日も反省します。
それこそ、もしかしたら、その領域での「成長」とは、こういうものだと、もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・です。
成長でさえ、その意味を外部から与えられ、決めつけてた。その決めつけを良きものとして盲信し、向上心!ポジティブに!前向きに!努力は裏切らない!やればできる!とその “決めつけ妄信教” のようなもので自らをあおり、責め、「対処」に自らを駆り立てていた。
今、感じているのは広がり、安堵感。あと、ちょっと、涙。やってきたことが “違っていた” ショックの涙です。でも、気づけてよかった。
対処ではないところでやっていこう。対処ではないところで。
