「考え」とは
先日、「自分の考えはこれでよいのだろうか?」とたずねられました。
私は、「それでよいのではないでしょうか」と答えました。そこでよぎったのは、自分とその方とのミームの違いと、自分と向き合っていない人が自分の考えを持てるわけがない、という私の “考え” でした。
「考え」って、ミーム(意識レベル)も反映されるし、パターン(信念や良識や立場なども含む)も反映されます。なので自分の考えだと思っているそれは「自分のパターンの考え」です。でも、世の中、一般的にはそれが、イコール自分の考え。
「考え」って、何だかちゃんとしてるというか、しっかりとした印象がありますが、実のところ、どうでもいいことであり、自由なものだとも思います。たいしたことではないというか。曲解もスルーも可能だし、誰かに属しているようで、誰にも属さないもののようにも思います。
なぜならば、その考えを述べる人がいて、それを受け取る人がいて、みんなそれぞれのミームにおいてそれぞれのパターンで受け止めているわけですから。となると “考え” 自体が跡形もなく霧散する気さえするし、何ら意味がないのでは?とも思うんです。
「自分の考えはこれでよいのだろうか?」という、その問いかけ自体がすでにパターンによるもの(不安)なので、そこに至った考えも実際のところ、本質とズレているであろう・・とも私は思っています。でも、だからどうしたというのでしょうか?やはり「それでよいのではないでしょうか」。そして、しょうがないのではないでしょうか。
わたしは、「自分はこう考える」と、光のエネルギーでもって「本当の私」の考えを述べたいものだ・・とつくづく思います。
以上、私の “考え” でした。チャンチャン♪