マルクス・ガブリエルの本 <その2>

マルクス・ガブリエルの本 <その2>

2020年02月26日 06:20

昨日の続き 『なぜ世界は存在しないのか』 について。
この本で繰り返し言われていることは、世界は存在せず、存在するのは無限の意味の場だけであるということです。以下、抜粋です。(とりわけ興味深く思った箇所を私の方で太字にしました)
(P.106)
・・・そもそも世界が存在しないからです。存在しているのは、無限に数多くの意味の場だけです。・・結局のところすべてはどこでも無いところで生じるわけです。これは、まったく何も生じないということではありません。むしろ逆に、無限に数多くのことが同時に起こっているということです。
(P.290)
わたしたちは、無限なもののなかに道を切り拓いて進んでいます。わたしたちが認識するものは、どれも無限なものから切り取った断片にほかなりません。しかし無限なものそれ自体は、ひとつの全体でもなければ、超対象として存在しているのでもありません。むしろ存在しているのは、果てしない意味の炸裂です。わたしたち自身、この果てしない意味の炸裂に参与している。わたしたちの感覚は、潜在的には宇宙の最果てにも、またミクロコスモスにおけるほんの一瞬の出来事にも及んでいきうるからです。・・・(P.291)・・・誰もがいずれは死ぬほかありません。それに不幸が数多く起こっていること、必要のない理不尽な苦しみがあることにも、疑いの余地はないでしょう。しかし、わたしたちには以下の点もわかっているはずです。すなわち、どんな物ごとでも、わたしたちにたいして現象しているのとは異なっていることがありうる、ということです。それは、存在するいっさいのものが、無限に数多くの意味の場のなかに同時に現象しうるからにほかなりません。わたしたちが知覚しているとおりの在り方しかしていないものなど存在しない。むしろ無限に数多くの在り方でしか、何ものも存在しない。・・・・   
以上 『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ) より
ようやく親和性ある文章が現れ、これは面白い!!と思いました。「中立のワーク」(用語集を参照ください)というワークがありますが、それは事象にはそもそも何の意味もなくて、我々はその事象に対して自由に意味づけをして、それを自分の哲学としていってよいと捉えます。その意味はいつでも変えられるし、一度そうと決めたらずっとそうでなくてはいけないものでもないというように。
この本に書かれているマルクス・ガブリエルの考えは、「中立のワーク」の前提となっているし、また、とかくその意味を決めつけ、狭い世界に住んでいるパターンへのリマインドとなると思います。「むしろ無限に数多くの在り方でしか、何ものも存在しないのだ」と。
そしてわたしが様々な人の日常を感じているのは、まさに、自分が日常として知覚していることだけが日常ではなくて、無限に数多くの日常があるということで、そこには開放感があります。