「語りかけ」を(勝手に)考察してみた!

「語りかけ」を(勝手に)考察してみた!

2021年09月25日 11:53

大学で、心理学を専門としている研究者が集まり、研究を社会に役立てる術を考えるべく提供しているセミナーがあって、そこに参加しています。おもしろい!
テーマは先日考えた「共感」。共感について頭で考えるというのはなかなか難しく、学んだことのほとんどは脳内でストップしていて、腑に落ち感はゼロです。
それでも、学んだことから、「語りかけ」のワークのことを考えてみると、これは学術的にも理にかなっているのだと自分なりに考えました。(「語りかけ」がそうある必要は特にないし、だからスゴいんだということもないのだけれど。)
共感には「認知的共感」(他者の視点から相手を理解する力、こうであるとこうなのかもしれないなぁと考える、仮説をたてる)、「情動的共感」(相手の情動や感情を自分の情動や感情として写し取る、そばに悲しんでいる人がいる時自分も悲しくなる)の2種類あるのだそうです。
「語りかけ」では自らのパターンがそのように考える理由を3つ出します。なぜならば〜〜〜だし・・・と。「語りかけ」で「本当の私」はこの部分にフムフムなるほどそうなんだネと認知的に共感しています。そして、その時の感情も3つ出します。そうであると、悔しいし、苦しいし、悲しい等々。そこでは「本当の私」がパターンに情動的に共感しています。
ということで「語りかけ」のワークでは2種類ある「共感」の両方ともをどうやらカバーしているようだ・・・と思ったのでした。
ちなみにそのセミナーでは、情動的共感に動機づけられた行動をとると失敗する(損する)から気をつけたほうがいいというような話をされてました。それはパターンが生み出した感情に乗っかった行動を指しているのだと思いますが、それは認知的共感でも同じです。でも、認知的共感のほうは思考を伴うからどこか冷静さがあり(しかも、価値観・信念などそれがパターンであると捉えていない)、一般的にはそうなんだなと思って聞いてました。
ちなみにですが、「心ってどこにあると思いますか?」という問いに対して「頭」を指す人の割合は多いのだそうで、セミナーでも心と脳のはたらきの相関についての研究が紹介されてました。これから何回か講義があるので、楽しみです。