きっかけ
「自分がやる」ということについて、自分はどうだったのか? 振り返ってみて、思わず笑ってしまいました。
以前の私は、色々なイベントやセミナーに参加するなどして、知識を得ているだけでした。しかも、「変わるべきなのは他人だ」と思っていたので、自分が・・と言っても、「どうしたら自分が他人を変えられるか」しか考えていなかったんです。そういう自分のパターン(「他人は態度を改めるべき」)が、イベントに参加し、本を読み、知識を得ていたので、ますます自分のパターンは、他人をジャッジして、一向に「自分がやる」ということにたどり着かない・・・(なんだ、自分もじゃないか! 笑。)
このことから考えると、自分がやらないことの要因は「他人のせい」「環境のせい」「自分以外の何かのせい」などだと思います。それは自分に責任がないので非常に楽ですね。他人のことをジャッジして、文句を言っているだけでいいわけですから。しかも、人を裁く気持ちよさも「自分は正しい」というパターンが味わえますから、大満足なこと間違いなしです! (笑) 過去の自分て、そういう感じだったな・・・と反省します。
何とかして自分を苦しめる他人を変えたい、どう理論武装すれば他人は自分の言う通りに言動を改めるのか・・と探し続けていた自分が、それを諦めて、「自分がやる」ことへと進むきっかけとなったのは「他人を変えるのは本当に難しい」(自分以外の人間は自分の思う通りにはならない)という気づき・あきらめでした。そうか、そうだよね、自分自身を変えちゃった方が楽だよね。やりやすいよね。だって自分自身のことだから。自分がやればいいから、という理解です。
今は、心底、世界は自分が創っているんだよな・・と思います。これは観念してそう思ってます。全てが自分の心の中であるという。
だから、自分がやるし、自分がやるしかない、自分がやろう!!って思ってます。
▼ 普遍的な魂の学びは、実践を通して自分自身の学びとすることにその面白さがあります。
ぜひ、内なる眼差しを持って自らの世界を探求しましょう。
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