この季節、バラがきれいだったり、アジサイも咲きはじめたり、名前のわからない花々が咲き乱れています。私は季節の花々が好きで、今であれば散歩途中にご近所のお宅で満開になっているバラや道端の花たちをじーっと見たり、触れたり、香りを胸いっぱいに吸い込んで、「はぁ〜、いい香り〜〜〜」と堪能させてもらっています。
そういう時の自分の心は穏やかですし、満たされています。
そういう時、私は花々のみずみずしさを感じています。みずみずしいがゆえの発色だったり、香りだったり、花びらの冷たくしっとりとした感じであったり。
それで、思ったんです。
自分はいつも心の “枯渇部分” にいるんだな、って。その枯渇した心に花などみずみずしさを感じるものの水滴やシャワーをやっているのかも、と。これはもしかすると、絵を見たり、美味しい料理を食べに行ったり、好きな音楽を聴いたり、散歩したり、自分がやっていることのすべては、ひょっとしてそれ(「自分は満たされていない」、「自分は幸せではない」とかそのあたりのパターン)なのではないか、、、?
人に対してもたぶんやっている。以前ほどではないにしても、きっとやっている。
思えば、一般的に人ってつねに幸せを追い求めて生きています。「幸せ」という、外からの概念をチラつかせながら。「自分は満たされていない」、「自分は幸せではない」というパターンがそうやって刷り込まれてきたわけです。 ・・・ガーン!
もし、自分が心の “みずみずしい部分” にいたら、自分の中の心のみずみずしい部分から常に泉が湧き上がっているとしたら、そこまでそういった外にあるみずみずしいものに意識が向かないかもしれない。
花は、自分の枯渇感を潤すためのものではなく、純粋に花として見るだろうし、花の生気を吸い取るようなこともしないだろう。たぶん今とは異なる、なんらかの別の感覚がそこにはあるだろう。。。
ここで思い出しました。
満ちている、、、、私は十分に満ちている、、、、
根拠はないのだけれど
↓
https://www.youtube.com/watch?v=AQ-Sn9Fp_So
