山本寛斎さん

山本寛斎さん

2020年07月28日 08:44

山本寛斎さんが亡くなったとニュースで知りました。
山本寛斎さんの配信イベント『どんな未来も着こなしてやる!!日本元気プロジェクト2020』(7/31開催予定)のウェブサイトを見ていたら、「ファッションの力をうまく生かせば、都市や建築も、もっと楽しく、やわらかくなれるはずです。」と、大好きな建築家・隈研吾氏がメッセージを寄せていて、「やわらかさ」というのはこのところの私のテーマでもあり、思わず二度見しました。
わたしは寛斎さんに、2度会ったことがあります。学生の時です。私にとって、はじめての、クリエイティブな職業の方との出会いで、その後の自分の仕事に影響していると思います。
1度目はパリで、Place de Vosges を散歩していたとき。色あせた赤いダボダボなパンツにTシャツ姿で、長い髪を後ろで束ねていました。寛斎さんじゃない?と一緒に歩いていた友人と顔を見合わせ、話しかけたのでした。中くらいのスケッチブックに鉛筆で、地べたに座って服を描いてました。〈デザイナーってこんなふうに仕事するんだー〉と漠然と思い、憧れました。パリの砂は乾いた白い砂なので、真っ白けになったパンツをはたきながら立ち上がって、角のカフェでエスプレッソを一緒に飲みました。
私は当時、アメリカンスクールに通う高校生で、寛斎さんはお嬢さんの学校のことを心配されていて「うちの子、どうしよう?」って真顔でおっしゃっていました。たぶん、未来さんのことです。素人の私でも知っている有名なデザイナーですが、お父さんでもあることに不思議さを感じながらも(すごく自由な感じなので家庭があること自体に驚いた)、どこか自然で、自由で、普通の人なんだなぁ、と思いました。安心感もありました。
その2〜3年後、こんどは日本で(確か代々木公園)、黒の上下に真っ白なタオルを首に巻いて、ジョギングをされている寛斎さんを見かけました。私は芝生に腰を下ろしたまま「寛斎さ〜ん!パリでお目にかかりました〜!」と手を振り、声をかけると、駆け寄ってこられてその場にしゃがみ込み、「あ〜!!グローバルだねぇ!」と、お互い笑いました。
屈託のない笑顔が印象に残っています。表舞台に現れる時は精力的でパワフルで激しいイメージがありますが、懐が深くて、ひとなつっこい、可愛らしいひとでした。生きていることが大好きだったんだろうなぁ、って思います。
「俺の生き方、どうだ?」と異母兄弟の伊勢谷さんに最後、尋ねたのだそうです。その問いには誇りと、あとは、本当にどうだったのかなって、不安や疑念を感じます。
自分の生き方、どうなのか? 私も、考えてみたい。