だから自分は優れた人間になろうと努力してきた

だから自分は優れた人間になろうと努力してきた

2021年03月30日 08:37

能力の高い、デキる、優れた人間には価値がある。良い仕事につけて、それなりの収入を得られる。良い思いができる。勝ち組。
能力の低い、デキが悪い、劣った人間には価値がない。ろくな仕事につけない、収入が得られない。惨めな思いしかしない。負け組。
ぜんぶ洗脳のせいというわけではないけれど、こんなふうに「優/劣」が分断された世界を見させられてきて、そのように信じこまされてきた。だから一生懸命、勉強しないと後が大変だよ〜と刷り込まれてきた。学校や仕事、人々の生活も、実際そうなっているように見えたし。
だからこそ自分は高みを目指して、より優れている人間になろうと努力してきた。
自分が思う評価である「優」のほうを目指して。
そうやって自分の思い通りの評価を期待するようになった。
本当はそのままでよかったのに・・・
だから、自分が、能力が高く、デキる、優れているにもかかわらず評価が得られなければ不満だし、自分から見て能力が高い、デキる、優れているとは思えない人間が自分より高く評価されるのも、同様に不満。なんで?ありえない!おかしい!一体なぜ???と不当感も湧く。(→ ただいま、ここが大暴れ真っ只中〜 部屋で一人、吠えまくりました!)
優れた人間だったとしても、たとえそこを目指して努力して頑張ってきたとしても、自分が思うように評価されるとは限らない。努力が報われるとは限らない。なぜなら、その努力、その頑張りはパターンがベースになっているから。
しかし、パターン的に気も狂わんばかりの出来事に向き合った結果、その洗脳、そのパターンになんとか気づくことができた。顔を上げていこう!