ありたい自分

以前は「器の大きな人間でありたい、そうすれば皆んな自分のところに来てくれるから」と思っていました。人が自分のところに集まることを求めていたんです。そのために無理やり寛容であろうとしてましたし、「いーよ、いーよ」という態度をよくとっていました。でもそれは黒パターンでしたから、今思い返しても息苦しいです。

それで、今、「ありたい自分」というのは、「本当の私」がどうありたいかへとシフトしてきて、それを心の中で判断し、決めて、言動する(あるいは言動をひかえる)ということをやっています。

先日ですが、すごく小さなことなんですけれども、新たに入社された人からの挨拶メールに「いいね」を押すか押さないか、を「本当の私」がどうありたいか、で決めて押しました。

今回、自分が選んだのは、「職場の皆んなに合わせよう」でした。そういうふうにやっている人がいるからそれに合わせて自分もやろう、というものです。

この決断はスッキリ感があり、よかったです。

それで今朝は、この、ありたい自分を「私」が決められるっていいな、って思っています。

「器の大きな人間でありたい」と思っていたけど、今は、そういうことではなくて、自分自身がどうありたいかを決められるようになったんだな、わたし・・・とつくづく思っています。