アタッチメント
クリシュナムルティのメルマガが、Can attachment end? と問いかけるものでした。
アタッチメント(attachment)って、愛着とか、帰属意識、執着などの意味かと思います。
ちょうど日本(文化)への愛着とか、日本人であることを意外と自分は認識してたんだとか色々思ってた時だったので、そのことを考えました。
で、「それは終わるのか」、「そこから我々は自由になれるのか」ということですが、まさにそこから離れる、そこにこだわりを持ち続けないといったところから、終わりを受け入れ、自由になることができるものだと思います。それを、やり続けてきています。
・・・・と、ここにまた執着が生まれている・・・・
クリシュナムルティは、私たちは自分の経験、知識、伴侶、子供たち、さまざまな結論(判断、決意、気づきなどが含まれると思います)にアタッチしている、と話しています。
そしてそのアタッチメントには恐怖、嫉妬、心配などが生まれている、と。
やり続けてきているそのことに執着しちゃうのってなんでなのか考えてみると、例えば「ワークをすれば、成長する。」というような期待がある感じがします。ワークをしなければ成長しないというような信念的パターンもある。
じゃあなんでそう考えるのかといえば、今の自分に不満だから、未熟な自分が恥ずかしいから、できない自分が嫌だから、とかとか色々あります。
そこで、「ただ、やる」、やっていることに意味を持たせないことは大事だと思いました。やっている自分としてわざわざ同一化させないというか、そこに重みを持たせない。
淡々とやるべきことをやる。