決めてきている道

決めてきている道

2022年07月13日 08:20

魂の学び、自己探求は自分にとって大切なものです。自分の血肉であり、自分と向き合うことが当たり前になるまで身につけてきて、実際、身についているものです。

そこに時間をかけて継続しているし、努力もしているし、生きる上での基礎(インフラ)でもある。生きていく、生き方そのものでもある。自分にとっては命と同じ。いや、死んでからもあの世で学び続けると思っているので命すら超えている。それは魂が喜ぶことであり、魂の望む体験をする術であり、その方向性であり、その体験そのものだと思います。

この学びと出会えたことは私の人生最大の幸運だと思います。そのように設定して生まれてきたと教わっていますが、設定した自分ってすごいな、って思います(笑)

それで、、、ですね、(昨日の日記とかぶりますが)わたしはここに自分の執着が生まれていると思っています。

こういう学びには向き・不向きがあるものだし、さまざまな都合で続けられなくなって途中でやめる人・お休みする人はいます。が、自分はやめずに継続している。他の人と比べて自分がどれほどやってきたか。そういったところで他人と勝負しようとします。

自分=学ぶ者と同一化し、無力で何でもない自分をせめて存在させようとするパターンです。このパターンはそれを否定されれば激怒するし、また、学んでいない人たち(世の中の大半の人々です)と自分は違うんだ、という差別意識・特別意識も生みます。

でも実際は自分がやると決めてきたことをただやってるだけ。正直、一般的には「へーそうなんだ」(場合によっては「すごいね!」とか「宗教?」とか「自分には無理」)で終わる、人が引く世界です。

「自分はやってきた」とか「自分にとってこの学びがどうだ」という自分の執着パターンが生んでいる分離・差別を癒し、そういうことに特にこだわらなくても、ただただ自分が決めたことを地道にやっていこうと思うのです。それが自分が決めてきている道です。