ぐるりと回って、、、
はぁ。。。そうかぁ。。。
さまざまなパターンが、「認められたい」というパターンに行きつきました。あ、、逆か、、、おおもとにある「認められたい」というパターンから、さまざまなパターンが派生していた、ということか。
人の上にさえ立てれば、一番であれば、何者かであれば、一角の人間であれば、上でさえあれば、大成すれば、他人より優位であれば、「他人から認められる」「他人に認めてもらえる」とパターンは思っているのです。
それがそのまま「人としての価値」となって、パターンがこの社会で比較競争しながら、あの手この手で優位なポジションを獲得して頑張ろうと努力してきました。そのなかでも、「他人が自分を認めざるを得ない状態」をパターンとしては欲していたと思います。
認められることの何がそんなにいいのか。。。そこにいるのは、周りに甘えたい幼な子(パターン)です。
認められれば、みんなが自分を見てくれる。みんなが自分がそこにいることを認識してくれる。みんなが自分を大事に扱ってくれる。そうであれば心底安心できる。ホッとできる。大丈夫だって自信を持って生きていかれる。そんなふうに思っている幼な子が、自分の心の中にいるのでした。
このパターンは、「お母さんに認めてほしい」「先生に認められたい」「上司に認めてほしい」などなど、これまでも何度も向き合っているものです。思い返せばそれは何の力もない非力な自分(とパターンとしては思っている)が社会で生きていくための「存在価値」と強固に結びついているのでした。結局はここ。
認めてくれたらどんなにか安心するだろう、、、と、人から認められなければ生きていかれないと縮み上がるほどの恐怖を感じて、上でありたい、一角の人間でありたい、何かを成さなければ、何としても他人から認められなければ、という一心で生きてきたけれども。。。
もしかしたら、認められたい、と、もう、決めつけなくてもいいのかもしれない。。。