自分は無知でした。
ただただ自分の考え、自分の言動、すべてを肯定してくれればいいと思っていた頃のことを思い出してみました。約15年前の私です。
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ただこのままの自分を受け入れてほしい、そうしてくれればいいと思っていた。
自分に何かやるべきことがあるとか、全く見当がつかなかった。やれと言われたこと、やるべきことはすべてやっていたから。
(カウンセラーになりたければ)自分がカウンセリングを受けるよう言われるまで「私はカウンセリングをするほうであって、受けるほうではない」と本気で思っていた。
自分を見ていくように言われて、「なんで?見るべきは他人でしょ、間違ってるのは他人だから」と本気で思っていた。
自分は正しい。自分はできている。自分はわかっている。私は親、学校、社会に言われたことをすべて、正しく、やっている。何が違うというのか。
他人は間違ってる。他人は全然できていない。他人は全然わかっていない。これまでに周りから言われてきたことが、正しくできていない。間違っているのに存在してるなんて、それはおかしい。
だから、自分の正しさを認めてくれればいい。他人は他人の誤りを認めて、自分に従い、正せばいい。
やるべきことはすべてやっている自分がこの上さらに何かをするとか、ましてや自分自身を変えるなんてあり得ない。
それは自分を見ることも、自分自身の感情や感覚を感じることも含めて。なんで私がやらないといけないの?
だって私はできている。私は正しい。自分を見るべき、正すべきは他人。
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「私は正しい」というポエムのようですね。今の自分がこれを振り返って一言で表すとすれば「無知」。タイトル「無知」でもいけそうです(笑)
当時の自分は無知でした〜!(今の自分ももちろん無知なんですが、少なくとも自分は無知だと認識している。)そして他罰。自分の不幸は他人のせい。今となっては信じられないですが、でも、こういうふうに生きていました。
だから、いまそうやって生きている人のことが理解できるし、その虚しさ、その苦しさ、その憤りも理解できる。無知であるがゆえに(侮辱的に言ってるのではなく)そこに無意識的に居続けてしまっている様子もよく見える。
自分がどういう世界に生きているのかが、常に見えているようでありたいと思います。