生きるということを実感した時のこと

生きるということを実感した時のこと

2019年10月20日 09:50

先日、台風で一日家にこもっていたとき、映画『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』を見ました。
「死」を楽しむハロルドと「生」を楽しむモードが出会い、心を通わせていく物語です。
生きることについてモードがハロルドに諭す場面があります。とても素敵なシーンです。
A lot of people enjoy being dead.
But, they’re not dead really.
They are just backing away from life.
Reach out take a chance, get hurt, even.
Play as well as you can. Go team, go !
Give me an L, Give me an I, Give me a V, Give me an E! L/I/V/E, live !!
Otherwise you get nothing to talk about in the locker room…
多くの人は、死んだまま。それでいいと思ってるのよね。
でも、本当は死んでなんかいないの。
生きることに尻込みしているのよ。
手を伸ばしてチャンスを掴むの。傷つきなさいよ。
目一杯遊んで。さぁ!
生・き・る。生きなさい!
そうでもしないと、つまんないわよ。
この場面で、たぶん今の自分が在るキッカケとなった、生きるということを実感した時のことを思い出しました。
私は、幼い頃、ああしなさい・こうしなさいと親に言われ、言われた通りにしないと怒られ、自分の思いを口に出せば否定され、優しく受け止められたことや包まれるように愛されたことはない、、、自分がこうなったのも、自分の人生がこうなったのも、ぜんぶ親のせい、だってどうすればいいって言うの? 長い間、(パターンは)そう思って生きていました。
自分の人生は親を満足させるためにあったし、親の機嫌が悪ければ心底怯えて極度に不安でした。そうして、いつの間にか自分の人生を自分の責任で生きることをやめてしまっていたのでした。
〔一応、親の “名誉” のために書いておきますと・・今ではこうした一連の体験は自己探求への布石としか思えなくて、親を責める気持ちも全然ないですし、むしろ愛と感謝しかないです。〕
そんな私が「生きている」と実感したのは、カウンセリングを学び始めたばかりの時に「感じること」を促され、自らの感情を実感した時でした。それまでの私は周囲の人々をキョロキョロ見渡し分析し、判断して生きていたので、視線を自分の内側に向けることが新鮮でした。自分がどう感じているのかを感じて「快・不快」を判断するというだけで、自分が生きていることを実感しました。
ある日、自らの中へと向けた眼差しを、窓辺の観葉植物に向けた時、生き生きとした数枚の葉と蔓が上に上に伸びていく姿に生命力を感じて、感動しました。これは、すごい・・・って。
カウンセリングを始める際、「自生塾」と名付けたのも「自らが生きているという実感」が由来です。ロゴの葉っぱも私の中ではその時の体験と重なっています。
“死んだまま” ですべてが人のせいだったそれまでの自分と、傷ついたってなんだって一切合切を自らが引き取って生きている自分とを比べてみたら、後者の方が格段に充実しているし、いつかは死ぬそれまでの間、目一杯生きよう!自分で自分の人生を切り拓こう!という気にもなります。
きっと人間は、生きている間、自分の命を目一杯生きるのが一番いいんだと思います。
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  私はカウンセリングを通して、皆様が日々を豊かに生きる礎になりたいと思っています。
  笑いながら、泣きながら、深刻にならず、真剣に。
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