アリな話、ナシな話

アリな話、ナシな話

2020年01月12日 09:46

ニュースなどを見ていると、魂的にはナシだけど社会的にはアリな話、社会的にはナシだけど魂的にはアリな話、魂的にも社会的にもナシな話、社会的にも魂的にもアリな話・・・など色々あるなぁ、と思います。
いわゆる “大物” による出来事は「魂的にはナシだけど、社会的にはアリな話」が多いように思います。魂的にナシというのは、実は自分の良心を咎めているのではないか?というようなことや、自分が死ぬときにそれを突きつけられて閻魔様に猛省を迫られるのではないか??というような案件です。
私自身を含め、多くの人は「社会的にはナシだけど、魂的にはアリな話」を生きているように思います。社会的に(人間関係など)うまくいかなくて色々悩んだり、つい間違ったことをしてしまったりする、けれども、それは魂の成長に繋がっている・・・というような。
社会における “人間関係” を有象無象の “パターンの反応” と捉えるならば、「社会的にはナシだけど、魂的にはアリな話」というのは、言い換えると「自分が従来、抱えてきているパターンは満たされないけど、”本当の私”は、その選択をする」ということになろうかと思います。(「魂的にはナシだけど、社会的にはアリな話」=「”本当の私”はその選択はしないだろうが、自分が抱えてきているパターンはとっても満たされる」)
でも実際のところ、ナシ・アリが後に転じることもあるし、誰の心にも色々な話があって、その中で私は「今自分は何を選択したいのか?」を考えることを大事にしたいです。そうしてみたときに、やはり、「自分が従来、抱えてきているパターンは満たされないけど、”本当の私”は、その選択をする」ということをやり続けていきたいと思うのです。
▼ 普遍的な魂の学びは、実践を通して自分自身の学びとすることにその面白さがあります。
ぜひ、内なる眼差しを持って、内なる世界を探求しましょう。
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