そこから、離れよう

そこから、離れよう

2020年01月29日 09:06

「他人から認められたい」というパターンは、非常に不仲だった両親に、自分のことを一向に見てもらえなかったことから生まれたものです。「わたし、ここにいるのに!」と私のインナーチャイルドは泣き叫んでいます。
ここにいるのに、同じ部屋にいるのに、こっちを見てくれない。お互いのパターンの応酬に明け暮れ、怒鳴り合い、殴り合い、子供のことなど全く眼中にない。無視。子供としては、恐怖・不安がつのり、気持ちは落ち着きません。安らぐことはありません。
そんな子供時代を経て、大人(年をとった子供)になるにつれ、他人からの評価・判断があってこその自分だと思うようになっていきます(大きなパターンの誕生です)。パターンは「社会はそういうふうに成り立っている」と捉えます。学校でも職場でも、評価・判断が当たり前です。自分がそこに在籍していて、周りも組織もそれを認めているから自分が存在していられるわけです。私たちはそういう中に組み込まれるようにしてこれまで生きてきています、無意識に。
プラスに評価・判断されれば、自分の中にある「不確かさ」が「確かさや自信」に、「無視・排除」が「受容・肯定」に、「不安」が「安心」に変わります。一方、自分が思うように評価されなければ、さらに気持ちは堕ちます。どうせ自分なんか・・と自暴自棄になったり、ますます自分自身が嫌になったり、全てを投げ出したくなったり、します。
そこから、離れよう。
  安心は「私」のなかに。「私」は安心の中に。
  他人から認められることを、「本当の私」は必要としていない。
  他人が認めてくれたら、自分はそこにいられると「本当の私」は思っていない。
  「私」は、ここに、ある。
  永遠の、安らぎが、ここにある。
▼ 普遍的な魂の学びは、実践を通して自分自身の学びとすることにその面白さがあります。
ぜひ、内なる眼差しを持って自らの世界を探求しましょう。
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