「自分は無力だ」と「自分は上だ」

「自分は無力だ」と「自分は上だ」

2019年07月17日 07:33
「自分は無力だ」という自分のパターンについて客観的に見たとき、一体どうしてこれだけ色々できたり、特別な経験をしてる(語学ができるとか、外国に住んでたとか・・)・・なのに「自分は無力だ」と思うの?という素朴な疑問があります。自分でもこういう人がいたら、へー無力とか思うんだーって驚くと思う(笑)
このことについて考えてみると、順番としてはまず「自分は無力だ」と感じていたのだと思います。そのうち、幼稚園や学校へ行くようになり、自分のことを皆が驚いたり、羨ましがったりするのを目の当たりにして、他人を通して、周りとの比較で「自分は恵まれている。自分は頭がいい。他の人と比べて優位である。」と知って、そのとき、気持ちが一瞬 “楽” だったのだと思う。それが優越感を抱くパターン「自分は上だ」に徐々になって行ったのだと思います。
多分「自分は上だ」というパターンがあったから、それがときに満たされ喜びパターンの成功体験となり、満たされず悔しがりパターンにとっての屈辱的体験となり、を繰り返して、他人と競る勝ち負けに一生懸命だったから「自分は無力だ」というパターンにとらわれずに生きてこられたのだろうと今は思います。
ずっと「上だ、上だ、上だ。」で続けることもできたのかもしれないです。敗北や屈辱もたくさんあるけど、どうにか勝ち進んで、あの手この手で上に上がって。私のパターンならやりかねなかったです。ずっとその調子だったし。ですが、奇しくも魂の学びと出会い、そこでの学びで、そういったものはパターンであることを知ってしまい、実際にその感覚に浸ればそれはものすごく息苦しいことを体感してしまった。そうであるがゆえに、もう、「上だ、上だ、上だ。」は選べなくなってしまったのです。
そのタイミングで「自分は無力だ」というパターンが水面下から、今なら「本当の私」が受け止めてくれるかも、わかってくれるかもと、ゆっくりと顔を出してきたのだと思います。
そんなわけで、今日もパターンと向き合い、自分の中を観察し、自らのケアに励みます。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。