競る

競る

2019年02月13日 20:58


わたしにとって公共の空間、特にラッシュ時の電車は「私」でいる訓練の場になります。いろんな人がいてそれこそパターンの「思い通りにならない」からです。

しかし、今日は、競いました。私が電車を降りるときに前を横切って降りて行った女性がいました。そこでスイッチが入り、私はその人を追いかけて、目の前を横切りました。頭にきたパターンによる仕返しです。

なぜ頭にきたのか?というと横切られた時に私はとっさに「危ない!」と思いました。電車を降りるとき、たいていの人はまっすぐに降りるからです。それから目の前を阻まれることの不愉快さ、"邪魔!" という怒りがありました。

仕返しをしたとき「よっしゃ!」と思いました。どうだ!思い知ったか!!不愉快だろう!邪魔だろう!とパターンは誇示します。

いま、このことを書いていても感じますがパターンによる言動って重たいです。でもパターンが達成感を味わっているこの感覚に中毒になっているのだとも思います。重たいのですが慣れ親しんだ気持ちよさがあるからです。

これを選ぶのか、もっと軽やかな心地よさを選ぶのか・・・。その狭間にいて、いつでもどっちを選んでもいい。ただ、ちゃんと意識をしていないと慣れ親しんだほうに惰性で行ってしまうのだと思います。


▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。