最後の鎧
幼かった頃の自分は、自分には何の力もない、自分なんていてもいなくても何にも変わらない、別にいなくてもいい、だって誰も自分の話何て聞いてくれないし、見てもくれない、、、そんなふうに思っていました。「自分は非力だ」というパターンです。
だから、他人の賞賛や羨望は甘くて美味しいアメ玉のように感じたのだと思います。自分には価値がある、自分は特別、自分は普通の人が体験していないことを体験し、見たことのない世界を見て、知らないことを知っている。それをあたかもパワーを持っているかのように感じたのでした。
裏を返せば私は、「自分は特別」「自分は偉い」「自分は優れている」「自分は上」「自分は一番」「自分はすごい」といったパターンがないと、あまりの非力さゆえ、自信のなさゆえ、不安ゆえ、これまで生きてこられなかったということです。そういう虚構・幻想・勘違いの力を使ってしか前に進めなかった・・・それらを支えにして生きてきたと言えます。
そして、それらがなくてももう立てるようになっているので、こうして今、気付いているのだろうと思います。自己探求を始めてからこれまで、重ね着していた数々の鎧を一つひとつ脱いできました。鎧は「自分は非力だ」というパターンを覆うためのものでした。私が一番最初に身につけたのがこの「自分は特別」という鎧だと思います。
ここに最後の鎧を脱ぎます。
自己探求のあるあるネタなのですが、、、鎧を脱ぐ度に「最後」って言ってる気がします。笑。
◉「鎧」を脱いで身軽になりたい方、こちらを参照ください。
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