「知っている」ということ
先日のアタマに来た件は、いま「知っているなら教えてほしい」というパターンに落ち着いてケアしてます。
「そーかー!!」と思ったのは、「知っているということ」(情報)は「力」ということです。
自分はこれを知っている、あなたはこれを知らない。
ふだんの会話でもありますよね、「これ知ってる?」「えーー知らないの?!」とかって。
自分がこれを知っていることを周りは(相手は)知らない。
スパイの世界もそうですね。情報戦です。
政治の世界でも、知っていたのか?いつ知ったのか?などと取りざたされます。
会社でも、就業中に知り得た事を口外しない、と約束したりします。
一般的に「知っている」というのは「力」なのです。
周りが知らない事を自分だけが知っていれば優越感に浸れる、優位に立ち、力を手にした気分になる。反対に、誰かが自分の知らなかった事を知っていたりすると、立場が弱く、負けた気持ちになる。今回の件のように、知っているのに教えてくれないと、私のパターンとしては意地悪や嫌がらせとして捉えます。知っている方としてはそれを開示しなければずっと立場は上でいられます。すべてパターンの幻想なのですが、この世界ではそういうことが繰り広げられています。
そしてその根底にあるのは多くの人が抱えている「自分はダメだ」という劣等感です。劣等感がなければ、優越感も不要ですから。
では、そういう現場で私はどうするのか?
私はこれまで、そういった情報戦に加担し、優越感や敗北感を味わってきました。そのことに私はものすごく疲れています。もういい。もうここからは下りたい。なので、私は「知らなくていい、知らなくて大丈夫」を選びます。これはものすごい安堵感です。それをしっかり選び切っていきたいと思います。