新鮮な世界
外にばかり目が向いているうちは、様々な先生や先輩方から「自分自身、なんですよ・・」といくら言われても、その意味がわからなくて、話が入ってこなかったかもしれないな・・と、ふと思いました。それほどまでに、かつての私は自分というものを全くわかっていなかったし、他人の人生を生きていました。他人から求められる自分を。
そうであると、それなりにちやほやされるし、必要とされている存在意義も感じられるし、嫌なこともたくさんあったけど楽しいこともたくさんありました。でもそれは、虚しさを埋めようとしてのもので、パターンなので、根底には不満や悲しさや寂しさの河がずっと流れていて、その楽しさというのはどこかはしゃぎ気味であったり、ハイテンションであったりしました。
他人の人生を生きるというのは全く自信のない自分が生き残るための一つの手段であったのかも・・と今は思います。でも、それは「本当の私」の真意ではないので歪みが出ます。・・もうこれ以上無理、頑張れないという時が来ました。
私が最終的に行き着いた(それからはセミナーに行ったり、手当たり次第本を読んだりすることがなくなったという意味で)場所は “自分で自分を引き受ける” と腹をくくった場所であると言い換えることができます。
それも、「腹をくくらないとね」と先生(魂の道場)から言われて。
けれども、そう言われて「ハイ」とすぐに引き受けられるようになったわけではありません。そこからは一つひとつ、まず感情を感じることを教わり、心のカラクリを学び、ワークを教わり・・・それらを日常生活で実践するその過程で、自分の身に起きることは感情も含めて全て自分事として受け止めるようになっていきました。
面白いと思うのは感覚的にそれが向こう側の世界であることです。「全てを他人のせいにする他人を生きる世界」と「腹をくくって全て自分ごととして引き受けて生きる世界」とは別モノで、その2つの世界の間に深い溝があって、こちら側から向こう側へとジャンプする感じです。本当はどちらも自分自身の中にある世界なのですが。
それくらい他人の世界を当たり前のように生きていてそれしか知らなかったし、それくらい「他人に拠らない世界」には新鮮さがあるのです。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。