認められるという体験 

認められるという体験 

2019年10月12日 10:01

先日のこと、自分の仕事がひとから “認められる” という体験をしました。
嬉しかったです。嬉しかったのですが、それは、自分が認められた!やった!というよりも、一緒に仕事をしている人を誇りに思う気持ちや感謝の思い、仕事を施した相手先がいい状態にあることが確認できたゆえの安堵感などで心がいっぱいになる、、といった嬉しさでした。
「よかったー!」という言葉を私はその時に発しましたが、それは「自分が認められたことがよかった。わーい!」ではなく「自分はすごい!」でもなく、共に仕事をしてきたプロフェッショナルたち、自分たちが仕事を施した皆さんのために、よかったーーー本当に。そうした思いが心の中で、じわ〜じわわわ〜〜〜と湧き上がる感覚です。
その仕事は、自分が認められることを目的にしたり、いわゆるパターン的な意図はなくて、純粋に一つの仕事として、手がけていました。なので、そうやって認められてみたところで、そこでの満足感は限りなくゼロ。そこは特段、満たされておらず、上述したような感覚が、心の中に広がったのでした。
一方、「認められたい」というパターンが、認められたように感じる時もあって(これまでの体験では、認められない方が圧倒的に多いですが。笑。)、今は、それを「私」は必要とはしていない・・と選んでいますが、それをするようになる前までは、有頂天になりそうな気持ちを抑えたり、またそんな自分を恥ずかしく思ったり、心の中は意外と重たいもの。スッキリしていません。
そのようななか今回体験したのは <認められることをパターンが求めておらずに、認められるときに味わう純粋な嬉しさ> でした。 この体験がとても良かったように思います。あ、こんな風に感じるのか・・という。
認められるって、別にパターンだけが認識する話ではないんだ。パターンではないところで認められることもあるんだ・・・という体験でした。
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