自由な言葉

自由な言葉

2019年03月10日 21:25


レコードがまだ主だった頃、よく「ジャケ買い」というのをしました。レコードのカバーのかっこよさに憧れて、レコードを買うアレです。

先日『偉くない「私」が一番自由』という本を見つけ、「ジャケ買い」に似た衝動でさっそく図書館で借りてきました。「自分は非力だ」とか「自分は上だ」といったパターンがある私にとって、そのタイトルが面白かったからです。

これはロシア語の翻訳者だった米原万里さんによるエッセーで、本の題名と同じエッセー作品では、いくつかのロシア抒情詩に触れていて、その中で「私」という主語の意味するところが書かれていました。

・・・どこからも文句の来ない、一方的で閉じられた神の言葉であり続けようとする限り、一定の集団を代表する言葉である限り、言葉は不自由極まりないままなのである。偉くない「私」、一個人に過ぎない「私」の言葉が一番自由なのだ。・・・   <エッセー 偉くない「私」が一番自由 からの抜粋>

確かに、どこかの組織を代表しての言葉と比較したら、個人の言葉って自由だなぁ、と思います。

しかし、その組織のアイデンティティを背負いながらも、組織に属する個人の「本当の私」が主体的に語るとき、そこに自由やその他多くの資質があるといいなぁ!と思います。


▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。