わからない学び

わからない学び

2024年04月23日 20:17

鍼灸院では先生が鍼を打ってくれた後で、若いスタッフの方が文字通り “お灸をすえて” くれます。

そんな中、「わからない」ということに関する話が湧くようにして始まりました。

スタッフの方によると、鍼灸の学びというのは先生から本を渡され、「読め」とだけ言われるのだそうです。何にも教えてくれない。だから、仕方なく読むわけですが、書いてあることがよくわからない。”クセの強い鍼灸の大家”が書いている本なので当然、知りたいし、学びたい。でも、、、わからない!!

この人はなぜこのように書いているのだろう。なぜ?という疑問を抱きながら時代背景や当時の文化などに当たって、当時その著者がどのような世界を生きていたのかに思いを馳せて理解に努めるのだそうです。

それでわかるものもあるけれど、それでも結局、わからないということがたくさんあるんですー・・・と話されました。そしてそれは、「今の自分にはわからない」ということであり、数年後にふとわかることがあるとも言っていました。

この話を聞いていて、この方が「わからない」ということを受け入れられていることがまず「スゴい!」と思いました。なぜならば、私は「わからない」ということを受け入れられなかったからです。いわゆる学校教育では、「わからない」ということはダメなことであり、受け入れてはならないもの。そのように教わってきました。

魂の学びと鍼灸の学びは、根拠やエビデンスありきではない、つかみどころがない中を進んでいく感じが似ています。最近の私は「今は、わからない」としてそこにそれほどこだわらなくなりましたが、その方の探求の姿勢もまた自分と重なり、親近感をおぼえました。

天・人・地の間でのバランスをとっていくとも言っていたので、まさに、天とつながりながらも現実世界を生きるこの学びのようだと思ったのでした。

わからない学びは探求そのもの。とても魅力的です。