ただ、それだけ

ただ、それだけ

2021年06月22日 08:11

先日の<魂の道場>の学びでは自分が劣っている点を他人と比較してリストアップしました。自分は〜さんと比較して、医療・治療ができない、事業・会社経営ができない、パワーがない、包み込むようなしっとりとしたやわらかさに欠ける、歌や演技、バレエができない、ピアノが弾けない、美しさに欠ける、胴が長い・足が短い、体が柔らかくない、料理ができない、それらができる人と比べて自分は劣ります。いやいや、あなただってこういう良い点があるでしょう?ということではなく(世の中一般的にはこうだと思います)単純に劣っている。そのことを受け入れる。それはあるがままの自分・他人を受け入れ、赦すことにつながっています。
私たちがこれまで生きてきた他と比較して優れていることは価値があり、劣っていることには価値がないとされる社会では、自分は~に劣っている。だからダメ、だから低い、だから価値がないなど「だから何である」という決めつけ・パターンが付いて回ります。(優れていることに関しては、だから高い、だから価値がある、となる)
それはあるがままの自他を赦していません。だからダメ、だから価値があるというように人を裁いています。
私はどちらかというと「あなたはいいわよね。~もできるし、~もできるから」と言われることのほうが多かったこともあり、「だから自分には価値がある、自信持っていいんだな」と思ってきました。そこに無意識なパターンも加わり、実はレベル2~3程度のことが7~8くらいのことにまで膨らんでいた可能性があります。現実からかけ離れている。妙な万能感です。しかし実態は冒頭のように、むしろできないことのほうが多いのではないか?人間てそんなものなのではないだろうか?と思います。
ただ、それだけ。「~ができない」だけ。「~ができる」だけ。そこに意味や価値、重さを持たせることなく、ただそれだけ。この感覚は自分は大したことない、大勢のうちの一人、特にずばぬけているわけではない、平凡な存在である、というように、自分のことをありのまま受け止めることを促します。それは、他と比較して優れている=価値がある(あるいはその逆)と意味付ける社会にどっぷり浸って生きてきた自分としては新鮮な感覚です。そしてこのことから、自他を赦し、理解する心を育んでいこうと思います。