『嫌われる勇気』
遅ればせながら『嫌われる勇気』を読みました。2013年に発売されたのですね。とても話題になっていたことは知っていましたが、今まで手に取ることはありませんでした。
対談形式で書かれているこの本に出てくる「青年」の、「哲人」への喧嘩腰の態度が気になりつつも、なるほどナーと思ったことが一つあります。それは、パターンというのは(この本ではパターンとは呼んでませんが)決めつけが強いですが、それは、パターンにとってはそうであるほうが、ある意味 “楽” だから(あるいは何らかのプラスがあるから)そうしているということです。
例えば、私のパターン「自分は上だ」。これはこうやって思い続けることで、より上であろうとする努力を自分に課しました。そして、それでも上であれない場合は、強烈な悔しさと共にそれを他人や自分以外の何かのせいにします。そうやって自分を駆り立てて生きてきました。乗り越えられないハードルはないんだ!と。もちろんそれはパターンなので、結果としてものすごく疲弊したり、どうにもならなくなって心がボロボロになってバーンアウトしましたが。それでも、その時点まで、それが自分の活力であったことは確かです。
白黒ワークで、「もう、そこにい続けるのをやめよう」という白パターンは、全く新たな感覚、安らぎを自分にもたらします。実際には(「本当の私」は)、もうそこにいたいとは思っていない、今は違う。前は、「本当の私」というものを知らなかったし、パターンとしてはそれが楽だったし(楽に自分を動機づけることができたという意味で)ポジティブだったんだけど。そういう自分に気づきます。
『嫌われる勇気』ではそこをどうしていくのかは書かれていないですが、あなたのパターン(この本ではパターンとは呼んでませんが)がそれを選んでいるのですよ、あるいは、あなたのパターンがそうやって意味づけたり、価値づけたりしているのですよ、という「哲人」の指摘は確かにその通りだし、青年にとってはその一つひとつが図星で、いちいち頭にきてつっかかっちゃうのも非常にわかるものでした(笑)。
そして最後は「世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ “わたし” によってしか変わりえない」という哲人の言葉に青年は勇気づけられ、対談が終わります。ここでも、具体的にどうするの?というところには触れられておらず。でも、青年が新たな一歩を踏み出したであろうことは伝わってきます。
私も当初「自分が変われば世界は変わる」「自分は変えられるけど他人は変えられない」といった言葉に救いを覚え、であれば自分が変わろう!と前向きな気持ちを抱きました。
この本は世界で累計500万部のベストセラーとのこと。もし、それだけの人が、自分自身が変わることに希望を見出しているとしたら、そのこと自体に私は希望を感じます。