「価値」の自滅が意味することは、、、
「Z省解体」のデモが連日行われているようです。
それを見て思ったこと、、、、「価値」の自滅。
「こういうものには価値がある、こういうものには価値がない。」そういった基準で、ひとを選抜・分断し、育て、支配し、手のひらで転がしてきた。そうして、ごく一部の「価値ある人」と、大勢の「価値のない人」が生まれたということだろうと思います。
そのような、強欲が設定した価値基準が巨大なブーメランとなって戻ってきています。
すべては宇宙が人間に気づきをもたらすために設定していたことだとしたら、すごいストーリーです。
最初は、いい思いをさせる。最初にいい思いをすると後がキツイ。でもこれも、キツイ思いをしないと気が付かないから、あえての「上げ」かもしれません。上げは下げのため、下げは上げのため。
これは、自分自身もそうなのですが、不祥事のニュースなども見ていて思うのは、「人は、自分の身に起きないと気づかない、わからない」ということです。自分の身に起きて、はじめてわかる。「自分の身に起きてわかる」これは宇宙からもたらされている恵みです。
問題になっているテレビ局も、数年前、他局がセクハラの不祥事を起こしていますから、そのときに「自分たちも気をつけないと」とか「自分たちは大丈夫か?」などと反省すれば、なんらかの改善がなされたであろうに、、、しかし、そういうことを人はしないものなのだなとつくづく思います。
いざ、自分の身に起きた時が、そのタイミング、と思う次第です。