プライドの下にあるコンプレックス
プライドの下にあるコンプレックスについて考えていて、ぱっと思い浮かぶのは、「自分はかわいくない」というものです。そこには「自分は人から好かれない」というパターンもありそう。
パリでアメリカンスクール(高校)に通っていた時、私はとってもかわいらしい友達と仲が良くて、パリの街を一緒に散歩していると、その子を目当てに男の人が寄ってきて、よくお茶やコーヒー、スイーツなどをご馳走されて、そのおこぼれにあずかっていたんです。
わたしはなんとも惨めな思いがしていたのを憶えています。なんでしょう、、、なんというかうまく言葉が見つからないのですが、他人が落としたものを拾って食べるような(実際にはそうではなく手渡されていますが)、卑しい、醜い、哀れな気分でした。男の人は、自分には、仕方なくご馳走しているのもわかるので、断ることもなく受け取ってしまっているのも嫌な気持ちでした。惨めさ、ですね。
日本でもやはり、ふだん絵画や写真のモデルさんをしているような、きれいだったり、かわいかったりする人たちと仲が良くて、職場の同僚には「どうして友達はこんなにきれいなの??」と度々、驚かれていました。
当時のことをよくよく思い出してみると、自分がその時、「引け目」を特に感じることもなく、その場にいられたのは、「海外生まれ・海外育ち」のプライド(優越感)で、自分を保てていたからだろうと思います。
いろいろ思い出しますね。「自分はかわいくない」コンプレックスの記憶をたどってみます。