生徒であるわれわれは・・・

生徒であるわれわれは・・・

2022年05月30日 07:54

今日の日記は、ちょっと長くなるのですが、全ての学ぶ人(生徒の立場にある方)に向けて、書きたいと思います。

・先生に自分を認めて欲しい/わかって欲しい。
・先生に自分のことだけを評価して欲しい。
・先生には自分の味方でいてもらいたい。
・先生には自分が一番だと思って欲しい。
・先生には自分だけに教えて欲しい。

これらのパターンは、先生/生徒、上司/部下などの関係性で、どこででも見られるものかもしれません。

私は以前、ある大学の研究員さんから、教授との関係性について、このような相談を受けたことがあります。

▼体験談 Kさん(20代・女性)を参照ください。
https://jiseijuku.com/testimonials/

 

私も、もちろん、こうしたパターンをバリバリ持ってます。

パターンの言い分はこうです。。。

そうであれば、自分は堂々と自信をもって生きられる、人よりも優位に立てる、自分はこれでいいのだと思える(自己肯定できる)。

そこへ、こういったことが起きます。。。
・先生があの人のことを褒めた。けど、私は褒められなかった。
・先生はあの人の近くに行った。けれど、私の近くには来なかった。
・先生は自分といる時は楽しそうじゃない。なんか、不機嫌だ。
・(つまるところ)先生は自分のパターンが望むような言動をしなかった。

そうしてパターンが思うように満たされなければ、傷つき、悔しがり、不愉快に思います。さらには、先生から可愛がられているように(パターンからは)見える他の人に対して「〜さんばかりズルイ」とか「自分は先生から見放された」というような、さらに別のパターンを生んでいくこともあるでしょう。

また、パターンは「先生はこの人のことを認めている」とパターンが考えている人を分析し、「一体、この人の何を先生は認めているのだろうか?」と考え、パターンが認める「人から認められる要因」をその答えだと思い、「自分もそうすればいいのかな」とか、「いや、でも、自分にはできないな・・・」などと考えるでしょう。

役割として、先生は生徒に「学び」を授け、生徒であるわれわれは先生に「成長」をお返しします。

一般的に考えて、先生が最も喜ぶのは生徒の「成長」です。なぜならば先生は生徒の「成長・進化・発展」などのために一生懸命に教えているからです。(これ、バレエ教室でもそうです)※ 職場であれば上司が喜ぶのは「高い生産性」「頼んだことを確実にやること」「上司の仕事のサポート」です。

生徒の立場である私自身はどう思っているかというと、先生には自由に、教えたいように、伝えたいように、していてもらいたいと思っています。

先生が伝えたいことを伝え、教えたいことを教えられるように、自分はやるべきことをやり、先生の教えを受け取る環境を整えておきたいと思うのです。

そうでないと、先生は思う存分、自由に伝えられないのではないかと思ってしまう。先生にはとにかく、自由でいてほしい…

パターンのように「先生にはこうであってほしい、ああであってほしい」と考えるのは本末転倒で、それがそぐわないのであれば、他の先生のところへ行けばいいです。先生って世の中に、たくさんいらっしゃいます。「…そういうことではないんだ、この先生から教わりたいんだ」というのであれば、自分のパターンを満たすために先生を利用するのをやめることです。

上述したようなパターンがあって、例えば、自分以外の誰かが褒められて傷つくのであれば、「語りかけ」のワークをして、そのパターンをケアして、「白黒ワーク」では「○もう、自分の黒パターンを満たすために先生を利用するのをやめよう。自分は自分の課題(今すべきこと)に集中していこう。」という白パターンを選ぶとよいのではないでしょうか。なんか、胸のあたりが軽くなり、集中力がアップしませんか?「1日1回、語りかけをやろう。」とか「今月はこのパターンの語りかけだけをひたすらやろう。」とか今の自分が具体的にできそうなことを加えてもいいと思います。

やりたいことは、いつも白パターンを選んで、自らと向き合い、「語りかけ」などのワークを行うということです。黒パターンを選び続けた状態でその場にいない。そして先生に次にお目にかかる時には、その結果としての “自分なりの成長” を見ていただけばよいのです。

体験談にあるKさんも、「まずは今の自分の最大限の力を出して日々仕事をこなしていくことを優先」したとあります。「今の自分の・・・」です。「〜さんはあれだけやってるから、自分もやらないと先生から認められない」ではなくて。

自分は自分、人は人。個性は十人十色。課題(すべきこと)も、成長へのステップも十人十色です。

先生に認められるためとか、誰かに勝つためではなくて、とにかく、ひたすら、自分は自分のできることをしながら、まずは自分のために学び、「本当の私」を大きく育てていこうではないですか。