私がもし自己探求をしていなかったら

私がもし自己探求をしていなかったら

2019年05月28日 06:01
私がもし自分と向き合うということや自分のパターンをケアするとか、一連のワークを一切実践していなかったとしたら、、、時間がかかるから〜とか、論理的でないから〜とか言って自分と向き合わずに、この10年余りを過ごしていたとしたら、今日の自分はないと断言できます。
「今日の自分」とは、自らの反射的な言動はパターンによるものであることに気づいており、パターンによる言動をする前に、自分の心の中を新たなものに選びかえ、それに基づく言動をする自分です。良きものを原因に持ってきて、その結果を受け取る自分です。完璧ではないにせよ、そうしようと思って挑戦し、日々努力する自分です。
自己探求をしていたって、不快感は湧きます。いわゆる “嫌なこと” が起こらなくなることもないです。
唯一違うのは、自分で嫌なことや不快なこと(快なことも)の理由(パターン)がわかるということ、それを思考に転嫁し暴走させていつまでもそのことに囚われ続けるのか、それとも違う新たな道を選び進むのか、選択権はいつも自分に委ねられていて、自らの意識一つでいつでも何を選ぶのかを決め、それを実践できるということです。
私がもし自分に向き合っていなかったら・・今頃どうなっていたでしょうか? 多分、上に書いたことと真逆の人生を歩んでいるのだと思います。
嫌なことや不快なことの理由がわからず他人を責め、それを思考に転嫁し、暴走させ、いつまでもそのことに囚われ続け、新たな道があることも知らず、選択権は常に他人にあり、無意識で他人からの評価・承認をひたすら気にして、他人が言う通りの、他人の望む、他人から認められる人生を生きようとする・・・。今では考えられない生き方です。
自己探求をしていてよかった・・・と思います。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。