思考対処の限界

思考対処の限界

2021年07月12日 07:25

(昨日の日記のように)自分にとって嫌な出来事が起きたときに、思考で対処することについて考えてみた時に、自分自身も自己の内面との向き合い方を学ぶまではそうやって生きていたのですが、そのまま行ってたらどうなっていただろう?と想像してみました。
もし、自分の不快感を「相手が未熟な人間だから」として、スルーし続けたとしたら、まず傷ついた気持ちは癒されずにずっとそこにあり、自分自身の思考が生み出す息苦しさにも気づかないで、重たい心のままで生きていくことになるでしょう。
対処しているのはパターンなので、問題が解決することはなく、自分自身の意識レベルでの成長もないまま、自分自身が生きている実感も得ることなく、そこにずっと止まり続けることになります。
以前、思考対処が当たり前だった時には、感じていなかったことですが、思考対処には重苦しさがあります。なので、このままずっと思考対処だけで行ったら、心がつぶれるような気がします。かつては得意にしていたはずの思考対処が、自分にとってこんなにも息苦しいものだったとは!驚きです。
しかし考えてみたら、世の中の大半の人はこのように対処してきています。自分と向き合って、自分のパターンを癒して、、、などということをやっている人は自分の周りにはいません。由々しきことだと私は思いますが(このことのほうがよ〜っぽど “緊急事態宣言” が必要だと思う。笑)、私自身はこのまま自分と向き合って、パターンを癒して、新たなパターンを選び変えて生きていく以外にはもはや考えられないです。