理解

理解

2022年06月17日 08:31

そこに咲いている花のところへ寄っていて花を愛でる、香ってみる。そこで草を食んでるヤギや馬へ寄っていく。撫でる。お父さん・お母さんと一緒に歩きながらも、自由に空想の世界に遊びながら、あっちこっちを歩いている子どもに思わず、微笑みかける。そういう自分の心があります。

ここで、娑婆(職場)でのことを考えてみると・・・自分が何かをひとから頼まれて、そのことについて「こういうことでしょうか?」と確認して、その仕事を一通りやり、それを相手に見せて、「どうでしょう?」「大丈夫そうですか?」と確認して、また少し調整して、完成させていく、といった流れで物事を進めていると思うんですね。(もちろん仕事によりますけど、私の仕事ではこういう流れが多いです。)

それで、その、途中にある「こういうことでしょうか?」「どうでしょう?」「大丈夫そうですか?」という時って、花や動物や子どもたちにわたしの心が「寄っていっている」時と同じだろうと思うのです。そこには「理解」や「洞察」が働いていて、そうであればこうしようか、と考えます。

でもこれは、いきなりその人についての理解というよりも、その世界、その領域に住んでいるその人と捉えていて、その世界、その領域への理解がまずあって、そういうところに住んでいるのであれば、この人はこういうことが必要だと思うだろうし、こうしたいと思うよね、そうであればこうなるよね、そうだよね・・・というあたりでの理解をしています。

相手に心を寄せた理解というのは、相手に安心感を与えるものなんだなという、娑婆での実感があります。


※近所のマンションの入り口に咲くヒメシャラに心を寄せています。