私たちは、社会によって生かされているのではない

私たちは、社会によって生かされているのではない

2020年01月20日 06:57

『この世の歩き方』(サアラ・著)という本を読みました。この本は、独学で自己探求をされている方に教えていただきました。著者自身のかなり特殊な体験に基づいて書かれている本ではありますが、変な違和感も特になく読むことができました。ただ、実践の部分(具体的に何をするのか)になるとやはり、いまひとつな部分は否めず、これはもう、しょうがないのだと思います。
最後の方に、こういう一文があります。
「私たちは、社会によって生かされているのではなく、地球が与えてくれる恩恵によって生かされています。そして、私たちが生かすべき社会を、再構築しなければなりません。」(P.214より抜粋)
私は、ここで、「人間は社会によって生かされている」という自分のパターンに気づきました。
昨年の暮れ「自分は他人に認められなければ生きてはいけない」という大きなパターンが私にはあることに気づき、パターンとしては「人間は社会的な動物だから、他人に認められなければ生きられないのは、当然」という思いがあります。それは「人間は社会的に機能しなければ生きられない」というのと同義で、私としてはこのパターンの言い分に慎重に耳を傾けているところです。
そんな中でのこの一文「私たちは、社会によって生かされているのではなく・・・」だったので、そーかーと自分のパターン「人間は社会によって生かされている」に改めて気付かされたのです。このパターンは “常識” とか “社会通念” くらいにまで昇格してしまっているので、こうして書かれていると「あ、パターンなんだ」と認識できて、ちょっと助かった感じです。
また、社会に生かされているというのは、長いものに巻かれている感じもします。パターンを癒し、新たなありようを選び、実践した先には「本当の私」の世界が創造されます。むしろそういう自分が “社会を生かす” のだ、という視線に明るさを感じます。
▼ 普遍的な魂の学びは、実践を通して自分自身の学びとすることにその面白さがあります。
ぜひ、内なる眼差しを持って自らの世界を探求しましょう。
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