考えるな。

 

読んでいた本に、次の文が出てきました。
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しかし、『ニコマコス倫理学』の最終巻は、「観照(テオリア)」という、そもそも他者を必要としない、純粋に理性的な活動(認識、学問)を、最高の幸福として称揚して終わっています。アリストテレスのような現実感覚に富んだ人でも、やっぱり哲学者、最後にはそんなことが言ってみたくなるようです。私なりに敷延すると、これは「見せる」という要素を含まない、純粋に「見る」だけの人生です。そこに一人だけで自足する生き方です。彼はこれを「神的な生活」と言っています。みなさんは、これが最高の幸福であるということの意味が理解できるでしょうか。彼の他の教説と違って、この「完全な幸福」の理解だけは、人生経験の蓄積が役に立つことは、たぶんないでしょう。  /『倫理とは何か』(P37-38、永井均 著)
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「見せる」という要素を含まない、純粋に「見る」だけの人生、そこに一人だけで自足する生き方、というところに自分のパターンに気づくヒントがありました。

どこかで、、、うっすらと、、、他人に自分を見せようとしているパターンに気づいたところです。それは、他人にとって自分が意味のある存在でありたいというパターンで、そうであると自分が存在できる(そうでないと自分が存在できない)、というようなものです。

自分の意味、パターンはなぜそれを他人に求めるんだろうかーと、考えていたところに、YouTutbe のおすすめに上がってきた横尾さんのお話。

【横尾忠則】創作と飽き/90歳の死生観/物事に意味なんてない/運命に身を委ねる

途中、「考えるな。」と言っていて、思わず吹き出しました。