無い、無い、どこにも、無い。
自分が、自分が、というところから離れてみると、いかに自分の考え、自分のやってきたこと、自分の生活、自分の仕事などに固執しているか、こだわっているかがわかり、そのことによってもまた、自分自身を成り立たせようとしていたんだなぁ、ということがわかります。
そして、そのこだわりを手放すことに不安が湧くかと思いきや、もう、すんごく楽で。あー、どうでもいいんだ(投げやりな意味ではなくてネ)、大したことではないんだーー、とそのとらわれの解放にはふんわりとした広がりと明るさを感じます。拓けているのです。
ああ、いいんだーーーーー・・・・・
そのままどこかへ翔んでいってしまいそうな感じ。それはもしかしたら、自分の中の小宇宙が、おおもとの宇宙と呼応して、そっちに持っていかれてるような感覚かもしれないです。
そう感じるのは、宇宙(神)の掌に乗っかってるんだ、ということの理解とその安心感です。そこには「自分が」という主体性はどこまでも、無い。どこにも、無い。
人の一生って限られてます。いつかは死ぬ。そうであれば、生きてるうちに、この体が健康であるうちに、何でも自由にやってみればいい、そういう気持ちになります。
「自由に、思い切り、生きてごらんなさい」
天は自分にそのように望んでいるように思います。