実績に執着している場合ではない
「本当の私」というのは一瞬、一瞬の「あり方」であると今の私が思うのは、その「あり方」を一瞬で選ぶこと(切り替えること)を言っています。
そうやって良き感覚を選んだあとは、なるべく長くそこにひたっていたいのです。で、その感覚は永遠に常時そこにあるものです。自分がそれを選ぶこと、自らそこにアクセスしに行くことが大事だと私は思っています。そこに宇宙がやらせたがっていることがあるように私は、感じています。
私は、昨晩エックハルト・トールさんの本を読んでいて
(↓こちらのくだり)
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ときにはエゴがほんとうは変化を望んでいないことが明白な場合さえある。それなら不満を言い続けられるから。(『ニュー・アース』P.75 L.12)
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「フム、確かにそうだよな」と思う自分にはたと気づきました。(この本には、けっこう「フム、確かにそうだよな」が散りばめられています。)
私は、このように、自分がこれまでに気づいたこと、「ほんとにそうだよな」というところに着眼しているのです。と、いうことは自分の「実績」がこの本を読んでいる。
これは、自分がこれから学ぶ人にお伝えしていくことであるとも言えるし、自分自身がかつての自分よりも少し進んだ地点にいるから見えることであるとも言えるし、実績に満足しているとも言えるし、そのとき自分は「実績」に執着していて新たな領域には身を置いていないとも言えます。
で、今の自分は、やはり新たな領域に身を置いていかないといけない。
私に不足しているのは、「白」の領域にひたること。その新たな領域に自らを馴染ませ続けることです。
どうやって馴染ませるの?と言えば、語りかけ→白黒ワーク→白パターンを選んだ時の感覚を身体中にしみわたらせる。そして、パターンが騒ぐことがあれば「だまりなさい!」と「本当の私」を発動させ、ふたたび、語りかけ→白黒ワーク→白パターンを選んで〜 です。