できる限り純粋なところで

できる限り純粋なところで

2019年07月16日 07:15
趣味について考えた時に思ったことがあります。
昔は “エゴ” と “本当の自分” の区別なく、何をするにも “エゴの自分”(パターン)が、あれをやりたい、これをやりたい、ああしたい、こうしたい、とやっていたなぁ・・と。魂の学びを始めたばかりの時、そんな自分が鬱陶しく嫌気がさして、何もかもやめて、何もかも捨てたことがあります。それも、パターンが嫌いというパターンなんですけど、それも当時は分からず、とにかくあらゆるもの・こと(人も含めて)を清算しました。
その頃、本を読むのでも、パターンで読んでいることがわかった(つまり、パターンが納得する内容は肯定的に受け止め、本の中でもそういうところばかり探して読む。それ以外のところはスルー。)のは、衝撃的でした。つまり、あらゆる人・もの・こととそういう風に付き合っているということだからです。
そんなこともあり、よくよく自分の内側を観察していくうちに、色々なものに手を出すことがほとんどなくなったように思います。なぜそれをしたいのか?と自分自身に問うたときに、自分の何らかのパターンを満たすためであることに気づいて、興ざめしてしまうのです。
そういうことがしばらく続いていまに至っています。本を手にするときも、ああ、なんかいい感じがする本だな、と思ったら読むし、書評などの情報頼りで選んで手にしたときに重たい感じがしたり、苦しい感じがしたりする本は、読むのをやめたりしています。
これから先、何に興味が湧くかはわかりませんが、できる限り純粋なところでそれに取り組んでみたいなぁ、と思っています。
▼自分と向き合い〔今のそのままの自分を愛すること〕を目指していくセッションを行っています。