満たされたパターンと向き合う
もう20年も前のこと。コンサル会社で働いていた時、ある方がよその会社から移ってきて自分の上司になりました。私はその方と性格も合わず、嫌なこともたくさんされて、大嫌いでした。最悪だった。そして、その時に私が決めたのは、その人の背中を見送ることでした。その人が自分よりも先に辞めること。自分のほうが先に辞めたら自分の負けになる。勝手にそう自分で設定しました。
今思うと、パターンとしては「XXXさんのことを絶対に許さない・必ず仕返しをしてやる・背中を見送ってやる」というものでした。それである時、その方が辞めます。当然、私のパターンは満たされました。辞めていく日、会社から出ていく時の背中、ハッキリと覚えています。しっかりと見送りました。出ていくのを見届けました。最後、ドアの向こうに背中が見えなくなる瞬間まで。パターンにとっての勝利確定です。私はあの人に勝った。静かにガッツポーズをしていました。
・・・とまあ、そういうことがありました。
で、ここからが本題です。私は、このパターンを今まで放っておいてました。たぶんパターンが満たされたからそうなっちゃったんだと思います。いま、あらためて語りかけをやってみると、そのパターンの息苦しさ、重たさを改めて感じました。そして、白黒ワーク。ここでは、自分自身の成長、「本当の私」が育ったことなどを、実感しました。
今だからあの当時のXXXさんや自分を理解できる。な〜んだ結局、他人が自分の思う通りであってほしかっただけだったんだよなぁ、と。であれば、XXXさんを許していいよね。許せる自分になっているよね。XXXさんを許そう。そして、当時、そうやって仕返しを望んだ自分のことも許そう。当時は、そうだった、ということ。ここには明るさやふんわりとした軽さ、安堵感があります。
それで、その白パターンの言葉を思ううちに、涙が出てきて、XXXさんの背中に謝りました。憎しみの思いを向け続けたことを。あの時は本当にごめんなさい、と。自分は本当に未熟でした。本当に申し訳ございませんでした、と。その時点で、XXXさんの背中は神々しく輝いていて、そこに手を合わせていました。
この時に、ああ「本当の私」は、ずっと理解したかったんだなー、ずっと許したかったんだなー、って思いました。