壊れるのは祝福
自己観察をしていると、それまで自分を支えてきたもの、それまでの自分のあらゆる言動の動機が、実はパターンだったんだとわかり、ふぬけになる、唖然とする、愕然とする、といった体験をすることがあります。
わたしは、自分の小ささ(パターンのイメージではないサイズ)に気づいたとき、ものすごく高いところから暗闇へとまっさかさまに落ちていく感覚がありました。どれだけ高いところにいたの?というくらい。・・・何十年も抱えている「自分は上」というパターンです。そりゃぁ、行けるところまで上り詰めます!(笑)
思考のクセだったり、無意識な思い込み、決め付け、過去の体験、人から教わったことが心の支えになることは多いです。しかしそれがもし、強い感情を伴うものだとしたら、それは「パターン」になっています。そしてそれは、私たちがそこに気づくために存在し、それゆえ不快なことが起きます。
自己探求で日々おこなうことはとってもシンプル(地味という声も)です。そしてその過程では冒頭のように壊れたようになることもあります。でもね、私はそこに尊さを感じます。そういうふうに壊れるのは、決してマズイことでもヤバイことでもない。祝福です。だって、壊れたのはパターンだから。で、ほけ〜となっているのをただ見ているのが、本当の自分だから。