協調性とは・・・

協調性とは・・・

2021年10月17日 09:38

先日の日記に関連して・・・
ノーベル賞受賞のプレスカンファレンスで真鍋先生が「自分は(一般的な日本人のように)協調性をもって生きられないから」と答えましたがその前談では、私たち日本人の日常、日本とアメリカの文化の違いをわかりやすく説明していたのでメモとしてここに載せておこうと思います。
この動画 ▼ の 51:00〜 (音飛びがあり聞きづらいですが)
https://www.youtube.com/watch?v=BUtzK41Qpsw
日本では人々は他の人に迷惑をかけることを心配してます。協調性を重んじます。これはお互いに友和的であれてる理由の1つかもしれません。いつも他人のことばかり気にかけてるんです。日本では YES か NO かの質問をする際、他人を傷つけたくないあまりに YES と答えることがあります。それが NO であっても。
アメリカでは、自分がやりたいことをなんでもできます。他人の気持ちなど心配しなくていいですし、いちいち他人が何を考えているのかということも観察していません。・・・上司からもリサーチに必要なコンピューターや研究費用などすべて与えられました。自分の研究のためにやりたいことがなんでもできるのです。こうしたことから私は日本には戻りたくないのです。なぜなら私は協調性を持って生きられないからです。(ここで、会場が大爆笑!)
協調性。小学校から、いや、もしかしたら幼稚園から?教わりますね。協力したり、協同で作業をしたり、みんなと一緒に〜ということ。それができれば褒められるし、できないとダメだと言われてきました。
「傷つきたくない」「嫌われたくない」といったパターンを持っている大人たちや、「自分の言う通りにして欲しい」という人々のパターンが、それこそ自分が思う通りに人を動かすために喧伝している教えの可能性も・・・あるよねぇ。
それでも今は私が小学生だった頃よりは、突出した人たちが増えているのではないでしょうか。しかしそれは、自分さえ良ければいいというような他人への無関心の高まりが反映されているようで、それだと方向性が違います。
“協調” には他人へ気を配り、足並みを揃える、他人と調子を合わせるという意味もありますが、それはとても難しいことだと私は思います。パターンもあるし、皆それぞれ違うし。ただ、それぞれが自分の魂が望むように(他人が望むようにではなく)生きている、そこにまるで周波数が合うかのように「協調」が生まれるのではなかろうか。そんなことを思います。
でも、これを書いていて思ったのは、「本当の私」は自らのパターンと協調しているということです。だとしたら、他人を真に理解した先には協調的な、発展的な人間関係があるのだと思います。