分断の日常をどう生きるか
陰性/陽性、ワクチン打つ/打たない、こっち派/あっち派など、AかBかという二者択一の分断が著しい昨今、日常を俯瞰してみると、分断によって生じる筋の上を歩いているようなものかも、と思いました。その筋の上を歩いているそばから、分断がさらに分断を呼び、ますます細分化され、、、という気がします。
ただそのときに、Aかな?Bかな?というところにとらわれ続けることを想像すると、気が重くなり、疲弊感を感じるので、この筋の上に漫然と歩き続けるのは違うと思いました。
二者択一を迫る分断は一種の決めつけにより成り立ち、例えばPCR検査であれば、陰性だったらこう、陽性だったらこう、というように、さらにその決めつけを濃厚にしていきます。その判断は囚われの中で行われており、陰性であっても繰り返し検査を受け続けなければいけないということが容易に起こりえます。(幸い私はそういうことにはなっておりませんが。)
そのときに「どっちであってもいい」という二者択一を超えた選択肢を心の中に思い浮かべると、ホッとした安堵感が広がり、楽です。私はこの感覚をもとに、分断されていく日常を、「本当の私」が選択し続けて、生きていきます。