不快感って、救世主
日々の体験で、快感であることよりも、不快感のほうが、学び・気づきが多いです。
ふとしたことにひっかかり、傷つく、怒りが湧く、苦しむ、悲しむなどの不快感が湧き上がる。そこで自分を見る。自分のパターンを見つけて、向き合う。自分の「本当の私」がそのパターンをケアして、新たなパターンを考え、選び変えて生きていく、、、というのが自己探求のざっくりとした流れです。
これがもし、湧き上がった感情が「快感」だった場合、なかなか、自分を見ることにつながりにくいものです。パターンが満たされていて、そんなことをしなくても、気分良くいられているからです。パターンが満たされた場合、それはどうなるかというと、そのパターンは、どうすればまた今のような快感を得られるのか、満たされる状況を作り出せるのか、狡猾に考えます。そして再び快感を得るために、あれこれやります。そこでパターンの思う通りに満たされることで、パターンはより大きく!より強く!なっていく・・・ それでも、時には、せっかく考えたプランもパターンの思い通りにいかない場合が出てきて、他人がパターンの考えた通りには動いてくれず、「不快感」が湧き上がる。ここで、ビッグチャンス到来です!!(笑)上記の、自己探求の流れに乗ることができるのです。
こうして考えると、不快感って自分自身が、本当にありたい自分を生きる方向へと向かわせる、救世主です。自分のパターンを見つめるきっかけを与えてくれる。自分の無意識なあり方をストップする。そのありようからは降りて、新たなありようを実践し、生きていくことができる。
私たちはたぶん、誰もが「失敗したくない」「嫌な思いをしたくない」って思って生きてます。(ま、それもパターンなんですけどね。)でも、失敗はゲームオーバーではなく、次への学びですし、嫌な思いって、実は、自分が本当の幸せを生きるキッカケ、充足した人生を生きるキッカケだと、私は思っています。