パターンが「信じる」力はパワフル。
「周囲の人たちはこうあるべきだ!」と強く決めつけているパターンは、さまざまな人たちを「こうあってほしい」「ふつうは、こう」と枠にはめたがります。
自分が立つために周囲の人間を盤石にしておきたいのです、そうじゃないと自分が生きていかれないから。
他人をしっかりとした決めつけの強固な礎にして、そこを自分が歩いていく、そんなイメージがあります。
「周囲の人たちはそういうものだ」とパターンがずっと信じていて、それ一択で、あきらめられなかったことにも気がつきました。あきらめるわけにはいかなかった、というか。
決して達成されることはない望み(あくまで、パターン的に)でも、何かを信じることが原動力になっていたように思います。
ずっと信じてきたのは蜃気楼、砂上の楼閣、幻影、なんら実態のないもの、嘘、ま〜ぼ〜ろ〜し〜〜〜〜。
強い強い信じ込み、信じなければ生きてこられなかったパターンの思いが、パターンの世界をつくり、そこに自らのパターンを住まわせてきました。
ありもしないものにずーっとこだわり続けてきた。決してかなわない望み(なんせ蜃気楼だからね)なのだけれども、それを最後の切り札のように、握りしめて頑なに信じて生きてきたパターン。そこにようやく気がついてあげられました。
パターンとしては絶望から、幻影でも嘘でも何でも信じるしかなかったんだと思います。思いへの執着=執念です。
パターンが「信じる」力はパワフル。でも、もうそれを信じなくても大丈夫。だって「私」はそれを必要としていないから。