まずは中→それから外

まずは中→それから外

2021年10月23日 13:46

先日の、心の研究者によるセミナーでは、「共感」というテーマに則って「共感力に欠けるひと」について考えました。参加者全員の体験と対処法を簡単にシェアし、先生がコメントをするというもので、私は「挨拶を無視された件」を発表しました。
挨拶を無視された。その後、その人にそのことについて話してみたところ(その時の私の動機は謝って欲しいからというものではなかったけれども)、私だったらするであろう「謝罪」はなく、自分がいかに余裕がなく忙しいかという話と、無視している相手はたぶん私だけではないことなどを話された。対処法としては、無視されたら忙しいんだな・・と理解する。・・・というエピソードです。
精神科医でもある先生は、私のそのエピソードにウケながら、「そうゆう時は謝って欲しいですよね!謝ったうえで、なぜそうなってしまったのか説明する、ですよね。その方は確かに共感力に欠けてますね。対処法は、それでいいですね」とコメントされました。
このコメントをいただいて、私はこの件に関してはすでに落着しているのでよいのですが、もし、何の学びもしていない私だったら、相手を「あの人は、共感力のない人だから」と決めつけ、苦しさを抱えたまま、相手をジャッジして思考だけで対処しているんだろうなーーーと思いました。
実際、かつてはそういう毎日の連続だったような気がします。
でもそういう生き方よりも、自分と向き合って、パターンを見て、、、、とやっていくほうが、自分の人生が充実しているのを感じられます。対処ってたぶん表層で、充実や実感はもう少しなかのほうなのだと思います。だから表層がうまくいっていても、なかのほうで幸せを感じられないということが起こるような気が・・・。
参加者の多くが、共感力に欠けた人への対処法を発表しながらもどこか「これでいいんだろうか・・」という不全感、何かがひっかかる、仕方ないのかな、本当はこうではないのかも?というような気持ちを抱えていたのを言葉の端々に感じました。(きっとその違和感は正しいよ・・・と心の中で思いました)
まずは中→それから外(表層)、ということで、今日も自分のパターンと向き合います。