それほどの重みなく
昨日の日記を書いていて、いろんなものの捉え方が軽くなったのかも・・と思いました。
他人に依存していたときは、自分が存在するもしないも、「すべて他人次第」だったために、その意味で、他人が極めて重要でした。自分がしがみつく対象としての他人にはそうあってもらわないと自分が成り立たないから。
また、情報もそういう対象の一つでした。自分の正しさ、すごさを証明するためには情報も確固たるものでないといけない。さらにその根底には自分が否定されることへの恐怖もあったので、なおさら “鉄板” な情報を沢山求めていたように思います。
あと、自分自身のことも、自分のパターンも、すごく重要なことのように、大袈裟に捉えていたかも。「自分は上だ」というパターンはそのことを象徴しているかもしれないです。この自分が抱えているものだから軽いはずがない、みたいな。
でもパターンを癒していくにつれ、それらの意味も変わっていって、だんだん感覚的にも身軽になり、いまは自分自身のこともパターンのことも情報も他人も、それほどの重みを持つことなく、淡々と受け止めています。
物事って、ずっと同じ、ずっとそのまま、ということはなくて、移ろう。自分自身も彩り豊かに移ろっていきたいな〜〜〜と思います。