そう決めつけなければ、、
パターンって、、、「自分は上だ」にしても「自分はダメだ」にしても、とにかくそう決めつけなければやっていくことができなかった、そうやって決めつけることで正気を保って生きてこられたのではなかろうかー?そんなことを思います。
自分を取り巻くあらゆる状況があって、クレイジ〜な娑婆を生きるためには、なんらかの決めつけが必要で、そうでなければ、自分がここにいることの説明がつかない、そうでなければ一体なんなんだ?!という、どうしたらいいのかがわからない体験をしているように思うのです。
「自分は上だ」であれば、いつでもどこでも人を下に置いて自分が優位に立てた時にやっと息をすることができた。「自分はダメだ」であれば、何をやっても力が及ばなくて自分なんか誰も見向きもしなくて、でも、そんな中、「自分はダメだ」という強い思いだけは自分で持つことができた。当時の自分を救う、心の拠り所だったんだと思うんです。その時はそう思うしかなかった。
でも、「自分は上だ」も「自分はダメだ」も、パターン的には「だってそうだもん!周りがそう言うし!」ということも、パターンとして存在するために都合の良い事実だけを選んでいて、それらのとなりには「自分は上ではない」、「自分はダメではない」という白パターンがあります。
私たちは、ずーっと黒パターンを拠り所に生きてきているから、真逆なことを言われるとピンときませんが、黒パターンはそうやって無意識のうちに刷り込んできたけれども、白パターンに関しては、その領域の明るさや軽さなどの心地よさとともに意識的にそれを選び自分に刷り込むことで、今まで自分の黒パターンが作り出してきた黒パターンの世界だけでなく、今「本当の私」が選ぶ白パターンが新たに作る白パターンの世界も体験します。
黒パターンしか知らなかったからそこに居続けていたということもあって、白パターンの世界に入ってみたときの心地よさを少しずつ体験して、実際に白パターンでの言動もしながら、今度は意識的に新たな決めつけとともに新たな世界を生きていきます。
そうして「本当の私」が黒と白のバランスをとっていくようにしているんだな、って思います。