「自分の思い通りの他人であって欲しい」というパターン
インターネットの不具合と向き合うなかで、「自分の思い通り」ということについてずいぶん考えました。それでまず、浮かぶことは、他人や環境などです。それらが自分の思い通りでないことがストレス、という。
そして、他人の言動にひっかかる様々なパターンを見てみると、それらは大概「自分の思い通りの他人であって欲しい」というパターンとして包括できます。
そのパターンは、そうでないと、自分のやってきたことが無駄になる、自分の思いや気持ちが踏みにじられる、自分のことがないがしろにされる、と思っていて、だから、自分が思うような言動をしない他人にひっかかり、不愉快さを感じたり、ムカついたり、頭にきたりしているのだと納得しました。
このパターンは、自分と全く同じように考え、行動する、あるいは、自分の言動をその通りだ!と、忠実にフォローする他人を望んでいて、逆にそうしてくれないと、自分が否定されているようにパターンは受け取るのです。なるほどな〜!と思いました。
他人が、自分が思うように気を使ってくれて、自分が思うような態度で接してくれたなら、パターンは騒ぐことはないでしょう。パターンって、自己チューで了見が狭いです。
一方で、真逆にある「他人が自分の思うようでなくていい」「他人が自分の思い通りでなくていい」といった新たなパターンは、よぉし!と胸のあたりに “やる気” をもたらし、広がりや軽やかさを感じるので、「私」はこれを望んでいるのだ、とわかります。
そして実は、この「自分の思い通り」には、もう一つ別のパターンがあって、そのパターンについては明日の日記に書かせていただきます。(ネタ、ひっぱらせてちょーだい。笑。)