「私」は用意されている
「パターンにひっかかってもいい」と「私」がパターンを真に赦す行為は、無意識のうちに未熟さの象徴になっていた黒パターンについて、「黒パターン」=「いけないもの」ではない、というところの理解をさらに深めてくれたように思います。
そのことは、例えば「不機嫌さ」「未熟さ」「無意識」のように「よくないもの」と意味付けがされているもの、そう教わってきて、そう決めつけているものについても、「だからダメだ」ということではなく、不機嫌でも、未熟でも、無意識でもいい。それをそれとして受け止め、理解し、赦す「私」の懐の深さを感じます。
そして何より感激するのは、そんな「私」が全ての人の心の中に用意されているということです。これからもそんな「私」がもたらすものを体験していきたいと思っています。