夜明け前
最近のニュース、「こういうことをすると、こうなる」という因果関係が想像できないのかなぁ、と思いながら見ています。短絡的な印象がある。
もしかすると、「目に見えるもの、わかりやすいもの」が手のひらに収まっていて、なんでも、いつでも、どこでも、「目に見える、わかりやすい」状態にあるために、「想像力」「推察力」などが衰えてきてしまっているのでしょうか?
見たくないものはスワイプして消去したり、ゴミ箱に入れたり、手元で自由自在に扱えますよね。それが高じて、短絡的になってしまっているのだろうか。しかし、それは若者に限らず、「大臣」でさえも。
お米の値段が上がっている時に、それを言うの?という発言。「これを言ったら、こうなる」という想像ができない。できないというより、しないのかな。いつも、目の前にお米が潤沢にあるため、「お米が高くて買えない」「お米が品薄」ということへの想像力や、そうであると人々はどのような気持ちになるかなど、本当にわからないのかもしれないな〜と思います。
でもでも、せめてですよ、「今このタイミングでこれを言ったら、反感を買うかもしれない」とか、「国民感情を逆撫でするかもしれない」とか、「支援者に嫌われちゃうかも〜」とか、よぎらなかったんでしょうかね。よぎらないんですねぇ。呆れる。
そんな中、昨晩、目にした一文。
「個人や集団や国家が無意識であればあるほど、エゴの病理が物理的暴力という形をとる。」(『ニュー・アース』P.134 L.8)
今って、無意識が蔓延した状態なんだなーと思いました。夜明け前です。
そんななか、われわれは自らの無意識(パターン)に気付き、そこに目を向け、暗闇に一筋の光を通して生きると決めた勇者です。がんばろう。