いい思い・・
「いい思いがしたい」というパターンは何を望んでいるか・・・・《魂の道場》の日記(5/23)を読んで、パターンの言い分を書き出せるだけ出しました。そして、それを次々とひたすら読み、スミ100%の黒パターンの海につかる・・・
すると、ピチピチとはじけるような高揚感や孤独、寂寥感の奥に、もう、、、ただただ、だれよりも、いつも、いつまでも、ずっと「上」でありたいのだという(やっぱりここか)、パターンの切実な望みが浮かび上がってきました。
上であれば、認めてもらえる!!受け入れてもらえる!!大切にあつかってもらえる!!これなんです。これを頑なに信じています。
相手のところに降りていき、相手に合わせる、相手を優先する言動を考えるときに、相手が自分よりも「上」の立場だと「なんで私がこの人に合わせるの?」と思うのは、相手が、すでに、認めてもらえて、受け入れてもらえて、大切にあつかってもらえているものとパターンとしては思い、「上」であるだけで世の中の扱いが変わったり、「上」であれば許されるさまざまなことを、目の当たりにしているからです。
一つのパターンなので、話をおおげさにするつもりはなく、ケアして選び変えて実践するのみなのですが、私はこれまでの転生も含めた人生で「上」であれないことで数え切れないほどの屈辱と悔しい思いをしてきたのだと思います。また、「上」であったことでいい思いもいっぱいしてきたのだと思います。そのどちらかを行ったり来たりして、なかなか、そこから抜けるということができなかったんだろうと思うんです。で、今生でも「上」を目指してその「上でありたい!」パターンを抱えて生まれてきた。
いまの自分が縁あって生きている領域というのは、そういった強烈な執着を持って、自らが決め込んで作り出しているものだと思います。だって、世の中って実際にそうじゃない!それが現実じゃない!とパターンは言います。それはその領域に自分がいるからそれしか見えないし、自らが作り出しているんです。それは、そこではない、次の新たな領域へ向かうための一場面として。「本当の私」のセッティングですね。
もうそうやって他人と比べて自分が上でなくてもいい。そうでなくても自分は生きていかれる。そうやって他人を利用せずとも自分は存在していられる。確かにあるその新しい世界から見える世の中は、、、さて、どのようなものでしょうか。
ケアして、選び変えて、実践です!